師匠がこんなブログ記事をUPしていました。
「誰も私を知らない頃に戻りたい。なんでも正直に、自分の思う通りになっていたパワフルだったあの頃に。」と。
論点は少しずれるかもしれませんが、少し前の私も同じように感じたことがありました。
なので私は、これまでの私を全く知らない場所へゆき(高野山)、
肩書きや職歴にこだわらず、これまでの専門職とは全く関係ない仕事をし(宿坊の厨房のお手伝い)、
全く新しいコミュニティに属し(卍易のみんな)、
たくさん自分に問うて、自分の直感がこれだと思う学びを始めました。(卍易)
そしてその間はSNSは一切ふれず。
スマホからアプリを消すことはしなかったけど、一番後ろのページに持ってきて
アクセスするのに面倒な設計にしました。
すごく身軽さを感じたのと、
どこにいても結局私は私なんだと感じました。
オンラインの顔はいつのまに「わたしはこんな人なのよ」というペルソナを作っていた気がします。(そういう戦略としてもコントロールできるけど)
だから「こんな人」というデータが少し古くなっても、どうしてもその少し過去の自分に縛られてしまう。
そうやって自分を不自由にする。(見方によっては、です)
また、”過去の延長線上にある自分”から離れた生活をしてみましたが、
結局のところ”わたしはわたし”でした。
そこで他人を通して見せられていたものは「自信のない自分」や「過去にこだわる自分」だったのでした。
見せられている事象に反応せず、ただみるだけ、をしたら「見せられ劇場」終了し、
他人のエネルギーアタックにやられてしまった先輩のエネルギー調整をする、という
これまでやっていたことと結局変わらないことをしている自分がいました。
何かの肩書きを持つわけでもなく、これは私がやることのひとつ。ただそれだけ。
師匠と同じように、これまでのSNSを全て消すのもありだな、と思っています。
刷新し続けられる自分の枷になっているような気がするので。
私は自由だし、
いつでもどこにいても結局本質は変わらないもの。
そんな大切なことに、この3ヶ月間の生活で気づかせてもらいました。