卍易(断易/五行易)を“占い“と言いたくなくなってきた

吉凶判断ができるようになってから、

これまで200回くらいコインを降ってきました。

少しづつデータが集まってきた感じです。

と同時にこの卍易風水が所属している一般的なジャンル、“占い”についても

日々考えたりしています。

それでね、私が最近感じているのは

「これを“占い”って言いたくないな〜〜〜〜」

ということです。

なぜ占いと言いたくないか。

それが正しい言い方ではないような気がして。

占いって、「当たる/当たらない」の世界だと思っているんです。

すごく端的に言うと。

そういう意味で、これはもう“占い”ではないなと。

では何か。

それは

「潜在意識を可視化して、今の自分の延長線上にある未来を見る方法」

だと思っています。

そんな電波をキャッチして、それを映し出すテレビみたいな装置にすぎないと。

ただやはり、その映し出されるまでのプロセスがとっても不思議で面白いのですけどね!

コイン6回振った、表裏でそれが分かってしまうのですから。

ユングが易を研究していたのもわかる気がします。

私もなぜその表裏でそれが分かってしまうか不思議でならないですから。

3,500年前の中国の人々は本当にすごかったんだなと思います。

これを体系化し、学問としていたのですから。

そしてそれが今でもこうして残っていることもすごいし、学べることも

何かを超えているような感じがします。