Sportifyで超相対性理論をよく聴いています。
毎回、新しい視点を授けてももらっているような感じなのですが、
先日の「真面目に遊ぶ人類の謎(後編)」はまさに神がかった内容でした。
「人生をあそびとして捉えるなら、遊びの、社会の設計者は誰なのか?」
「各自が作ってください、以上!」
ってことなのか!
となったのですが、
その後の龍ちゃんのコメントが真実そのものではないかと感じました。
「僕たちは人生というパーティーに招かれている。
パーティーの場面設定はランダムで設定されていて。
リテラシーを上げると主体的にパーティーを楽しめる事ができるんですよ。
誰にもコントロールされていないんだよ。」
たどり着いたところが、いわゆるスピリチュアルの世界で言われている
「私たちは地球に遊びにきている。
設定は自由。
生まれてくる前に“設定”してきた。」
と同じことを言っているのではないかと思って、
スピリチュアルとは全く別ルートで同じ結論に達していたのがとっても興味深かったです。
私たちは肉体を持って生まれてきている。
本当は魂だけの存在で、とっても身軽なのにあえて肉体を纏い、
あえて時間という制限の中で生きている。
時やボディという有限があるからこそ楽しめるゲームがそこにあるのだ。
お金がないとか、離婚がとか、病気がとか、
それはコントラストを楽しむための“設定”である。
(と大病をした私が言ってみる。)
病気を経て気づいたのは
“絶対大丈夫だから、手放しで全力で今を楽しめばいい。”
ということ。
生きていると、色々な悩みに囚われますが、
自由って本当は自分の中からやってくるものなのかもしれないですね。