ボディワークのお話です。
わたしは長らく、カウンセラー・ボディーワーカーとして活動をしてきたのですが、
この田舎に引っ越してきてからはその能力を発揮する場をうまく作れずにずっと苦心してきました。
たまに都会から来た人に、リトリート的に家で施術する感じ。
引っ越してきた当初は地元の人にも受けてみてほしい!と思って
色々と工夫していたのですが、
いかんせん、“強いマッサージ”を求められて
“深いマッサージ”はニーズがないのかも……、
と感じるような出来事が多々ありました。
「人に触ってなきゃ鈍ってしまう」とか
「今までこれでやって来たんだし、どうにかこれで稼がなきゃ」
とかそんな自分中心的な考えもなくはなかったのですが、
そんな気持ちで魂の神殿という名の身体に触れるのも失礼な話なので
無理しないで今はゆるくやろう。
と頭を切り替えて、本当に受けたい人がいる時にだけ施術をしていました。
気が乗らなかったら、気が済むまでやめてみよう。
半ば開き直りに近い気持ちでした。
そして、今引っ越してきて5年目。
ひょんなことから私のボディワークを受けたいという地元の方が複数現れ
急遽、施術会をすることに。
わたしが施術するエサレンボディワークとクラニオセイクラルセラピーは
身体はもちろん、こころや魂にも働きかける深いワークなので
指圧や整体のようなものを求められると拍子抜けされちゃうのではと
気になっていたのですが、
施術中に感情のリリースが起きたり、
ボディに触れていてもかなり深いところまで一緒に行けたので
クライアントにもとても満足してもらえました。
そして来月もぜひ施術会をしよう!したい!という流れに。
ありがたいな〜〜〜
この瞬間に、変に無理して続けなくて良かったと感じました。
“今はその時じゃないんだ”と見極めて、
少しお休みする。
でもサボるではない。
繊細な感覚を指先や全身でキャッチできるように
その感覚が鈍らないように、日々自主的に触れることは続ける。
これが“待つ”の本質的な意味なのではないかと思います。
正しい時を待つということ。
それは今ではないかもしれません。
でもチャンスが来たときに軽やかに動き出せるように
日々準備をしておくこと。
自分が信念を持ち取り組んでいることであれば
必ず誰か応援してくれる人は現れる。
そんな勇気付けられるような、
わたしがギフトをもらった施術会でした。